しょみのブログ

メモ。と感想。

2014年06月13日 ラジオ「すっぴん」 加藤シゲアキ

水道橋博士がパーソナリティーをつとめるラジオ「すっぴん」に加藤君が出演した際のトークメモです。


加藤君が出演したのは博士が気になる人をゲストに呼ぶ「博士の愛した日常」というコーナー。

博士の著書「藝人春秋」を「ダ・ヴィンチ」で加藤君の上半期ベスト1にあげていたのがきっかけでゲストに呼んでくれたようです


博士「嬉しいじゃないですか。もう51才ですよ、20代の人には僕の本は届かないだろう、っていう風に自分では思うんですよ。自分では思うんですけど、届かせたいんですよ。それがこんな風に届くんだーと思った時にお会いしたいなー、と。」

本を読む人が少ない。
「藝人春秋」は8万部売れたけど日本の人口でいうと、1000人中994人は読んでない。
そんな中で加藤君が選んでくれたというのは奇跡だと思う、と博士。




「自分の師匠がビートたけし」というのがあまりにもフィクション過ぎて芸人になってから本を読まなくなった博士。

樋口毅宏さんの「さらば雑司が谷」を読んで久しぶりに小説が面白いと思った。

その樋口さんが加藤君の本を読んで面白かったと書評していたので気になった、と。*1


ちなみにこの「すっぴん」出演時は博士「閃光スクランブル」読了、「ピンクとグレー」読み始め、という事でした。



■元々本をいろいろ読んでいたのか?

(∵)「実はそんなに小説を読んでなくて。
普通に読むは読むんですけど、本の虫だったっていう時期はなくて。
だから『好きな本は』?とか『影響を受けた作家は?』とか聞かれると困るんですよ。
書くようになってわりと読むようになったんですよね。
やっぱり読まないと書けないんだなーと思って。
それで樋口さんを友達と編集の方から薦められて、読んで、これはすごいなーと思いましたね。
本でしかできないことってあるんだなーと。」


(∵)「本が好き過ぎたら多分できなかったと思うんですよ、ビビって。
もちろん書くことは好きですし、小説を馬鹿にしてるとかではないんですけど好き過ぎたら躊躇して自分はできないなーと思うんですよね。」

(∵)「どちらかというと映画の方が興味があったんで、映画評論とか。
なので映画脚本のメソッドみたいなものをずっと勉強してた、というか好きで読んでて、それのやり方で小説を書いてみようと思ったのがきっかけでしたね。」


■「ピンクとグレー」「閃光スクランブル」の舞台が芸能界であることについて。

(∵)「僕が書くならそこを書かないと、意味がないかなと思って。
人が書けない物を書かないと意味がないと、事務所と話し合ったときもいっぱい言われて。
読み手もそこを期待しているということも意識して。」

博士「リアリティが欠ける可能性だってあるじゃない。
エンターテイメントを書くっていうので派手なシーンもあるわけじゃない、小説的な、ケレンなところをたくさん作っているわけですけども、それをやればやるほどリアリティは欠けるわけだから、そこに対してのリアリティを感じる言葉を尽くすというか、伏線をはるというは、ここまでやるのか!と思うんですよ。
ここまでやるか、ってことは身を削ることでもあるし。
自分は芸能界にいるんだからこういう事が分かるって言うことだよね。」


派手なシーンを描くとどうしても現実味が欠けてしまう。
だからこそ「そこに至る現実的な伏線」や「生々しい感情」を織り込まないといけない。

でもそれが現実的であればあるほど、加藤シゲアキを意識されてしまう。
アイドル・加藤シゲアキが書くことで、「芸能界、加藤君がいる世界はそういう世界なんだ」と誤解されてしまう危険性がある。
それを分かっていながら踏み込んだことを書いているというのは面白いなー、としみじみ。



藤井彩子アナウンサー(以下藤)「ちょっと大丈夫!?とも思ったりしたんですが。(加藤さんも)こういうことしてんだろうな、って間接的に探られることだってあるわけですよね...。さじ加減みたいなことって意識しました?」

(∵)「さじ加減、意識しましたね。
でも思ってるより、行かないと、それこそ勇気みたいなのがないと面白くないと思うんですよね。
なので(こんな事アイドルが書いて)大丈夫!?みたいなところは狙ってるんです、よね。
どうしても僕の顔がちらつくのはしょうがないと思ったんですけど、やっぱり閃光スクランブルの時は主人公を男性アイドルにはできないな、と。
その辺は自分の事だと思われると…。
得する所もあれば損する所もあると思うのでその辺はバランスは考えて、は、いますがそれがうまくいってるかは分からないですけどね。」


アイドルが小説を書く事について、ちゃんと損だけでなく、得する、と言っているのが加藤くんらしい。

樋口毅宏さんがコラムでこう評価してくださってました。

加藤シゲアキの幸運は彼の知名度のおかげでたくさんの人に読んでもらえること。不幸は彼がアイドルのために正当な評価を得ないこと。」


この辺りをちゃんと引き受け、理解したうえで、小説を書いてるんでしょうね。


博士「アイドルの市場の大きさに比べて本の市場の方が狭いわけですよ。
だからその市場のなかで過激なことをやるというのは自粛が働くはずなんですが、過激なことをやってるんですよ。
それは覚悟がいるはずですよ。」

(∵)「かなり覚悟しましたね。
書き始めるとき、出る時はかなり覚悟しましたもんね。
怖かったです。」


藤井「伏線がちりばめられてたり、かなり緻密な作りになっていると思うんですが、具体的にはどういう風に書いてるんですか?」

プロットは書いていない。
頭の中に起・転・結だけあって、承は転から逆に書いているという感じ。
だから承が一番大変、と加藤君。

博士「技巧的なアイデアをこの一冊にどんだけ入れてんだ!?と思って。
出し惜しみないなーと思いますよ。
心象風景を書こうと思えば何ページ使ったっていいんですよ。
もんもんとした思いを書けばいいんですよ。
だけどショットが早いというか、場面転換早いし、仕掛けがすごく映画的なんですよね。
映画も螺旋階段状に進化してるからその進化の方向側の映画を意識して、過去の映画を引用しながら、過去の歌詞を引用しながらエンターテイメントを構築していくという形をイメージとして持ってるんだなーというのを。
だから小説を映画化するんではなく、映画を小説化するみたいな、作業をやってるんだな、っていうのを思わせますよね。


(∵)「ギミックみたいなものは、特に映画から使ってるというか。
ピンクとグレーでいうと「(500)日のサマー」という映画を意識していて。
興味を持続させるのにめちゃめちゃ面白いだろうなーと思ってて。」

「興味の持続」というのはタマフルにゲストで出た際にも言っていました。

この辺りは今敏監督のパーフェクトブルーからの影響の話やメタフィクション、劇中劇を意識していた、という話も。




博士「昨日、業界の方の大きなパーティーに偶然行ったんですよね。
中に入ったら暗闇、というか照明が落とされた会場で。
まぁ数々の有名な方がいっぱいいらっしゃってて。
僕、老眼で暗いところがほぼ見えないんです。
輪郭しか見えないんです。

でね、自分の中の意識が閃光スクランブルの主人公になっちゃうんですよね。

そういう設定があるんですよ、目の見える範囲…みたいな伏線があるんですよ。
その伏線が自分の中に入ってきちゃって。
で、またパパラッチみたいな感覚が自分の中に入ってきちゃって。

そこからずーっと意識が続くのよ、小説の意識が。
これってすごく小説的だなーって。
小説に影響されて、小説に侵されている自分がいて。

で、大根さん*2がいて、大根さんがこの小説を読んでたから、たまたまその話ができて、その時にようやく「現実で起きているんだけど、小説に侵されてメタな意識に行ってる」のを呼び戻されるというね。

そんなのは他の人は共有してないわけじゃない。
でもオレの中では登場人物になっちゃってんのよ。

それが小説に影響されることだし、いわゆる小説とかこういうものが心に忍び込む瞬間なんだと思うんだよね。
それだけ影響が続いてるんだよ。

だからそういうものは面白い、と思ってる、自分の中で。
見た、面白かった、泣けた、というものが僕はあんまり興味がない。

パッと忘れられるもの、それもいい、それもいいんだけど、もっと心に忍び込むもので、フックがかかるものが僕は面白いのよね。」

(∵)「引っ掛けたいとは書いてて思う。
いびつで何か、残っちゃったな、っていうものの方が人の心には残ると思ってるんですよね。
だから全部が面白くなくても、一点だけでも人の心に残る、ザラっとしたものを書きたいって思いますね。」

後に加藤君がダイノジさんのラジオ「スクールナイン」に出演した際にこんな話が出てきました。

ダイノジ大谷さん「水道橋博士さんなんて「加藤君と仕事したくてしょうがないしょうがない」って会うたびに!「加藤君とねー、なんとかねぇー…」って笑」

 

*1:※樋口さんは加藤君が樋口さんのファンということを知って加藤君の本を読んだようです。

*2:大根仁監督